- コンプライアンスは、強制的にルールを守らせる仕組みではない
- 「最低限だけやればいい」という考え方の危険性
- コンプライアンスは「上から下へ」の命令だけでは成立しない
- 「バリュー・シェアリング」という考え方
- フェアな競争を守ることもコンプライアンスである
- 「結果」だけでコンプライアンスを評価してはいけない
- 不祥事が起きたとき、最も危険なのが「証拠隠し」
- リコールを隠すより、正直に対応するほうが企業を守る
- 「コンプライアンスだから考えない」は、最悪の誤用
- 「悪法だから守らない」も危険
- 「官僚主義」に陥ると、コンプライアンスは組織を弱くする
- コンプライアンスは、むしろ改革を促す力になる
- 経営者と会社は同じではない
- 「日本的な和」とコンプライアンスは対立するのか
- 内部通報は「仲間を裏切ること」なのか
- 「マニュアルがあるから大丈夫」という考え方
- ルールが守れないなら、ルールそのものを見直す
- 「態勢」と「体制」は違う
- 認証を取得しただけでは終わらない
- 大和銀行事件が示した「自己責任」の重さ
- 「知らなかった」では済まされない時代
- グループ企業では「自社だけ守ればいい」では足りない
- 業界全体で取り組むこともある
- 不祥事は「個人の問題」に見えても、組織を調べる
- 「過失」を放置すると、やがて「故意」に近づいていく
- 「企業の価値」は利益だけでは決まらない
- コンプライアンスは「何もしないこと」ではない
- 介護・医療の現場に置き換えると、さらに分かりやすい
- コンプライアンスの本当の敵は「ルール違反」だけではない
- コンプライアンスとは「自分たちで自分たちを律する力」である
コンプライアンスは、強制的にルールを守らせる仕組みではない
コンプライアンスという言葉を聞くと、「法律を守ること」「会社のルールを守ること」「違反しないように社員を管理すること」を思い浮かべる人が多いでしょう。もちろん、法令やルールを守ることはコンプライアンスの重要な要素です。しかし、それだけをコンプライアンスだと考えると、大きな落とし穴があります。
その落とし穴が、形式主義です。
たとえば、会社でコンプライアンス部門を設置し、担当者を任命し、分厚い規程集を作り、社員全員に研修を受けさせたとします。一見すると、コンプライアンス体制が整ったように見えます。しかし、現場では「このルールは何のためにあるのか」が理解されておらず、誰も問題を指摘できない。上司から命令されたことだけを守り、明らかにおかしな仕事の進め方についても「ルールに書いてないから」「コンプライアンス担当ではないから」と放置する。
これでは、組織は健全になりません。
重要なのは、コンプライアンスの形式を整えることではなく、組織の中に「正しく仕事をするために自分たちで考える力」を育てることです。形式的な運用だけでは企業不祥事を防ぐことも難しく、場合によっては、コンプライアンスを口実にして本来の目的とは正反対の行動が生まれることさえあります。
「最低限だけやればいい」という考え方の危険性
コンプライアンスについて、経営者や担当者からよく出てくる疑問があります。
「結局、どこまでやればいいのか」
これは非常に現実的な問題です。会社が関係する法律や規制をすべて洗い出し、あらゆるリスクを完全に排除しようとすれば、膨大なコストがかかります。小さな企業と巨大企業では事業規模もリスクも違います。製造業、金融業、医療、介護、IT企業でも必要な管理は違います。
したがって、コンプライアンスには「すべての企業が一律にここまでやれば完成」という絶対的な基準があるわけではありません。
重要なのは、最低限の法令遵守だけで終わらせるのではなく、自社が抱えるリスクを見極めながら、合理的なレベルまでコンプライアンスの水準を高めていくことです。
そのためには、経営者だけで決めるのでも、現場だけに任せるのでも不十分です。自社にはどんな危険があるのか、過去にどんな問題があったのか、どんな業務にミスや不正が入り込みやすいのかを考え、そこから具体的な仕組みを作っていく必要があります。
コンプライアンスは「上から下へ」の命令だけでは成立しない
ここで重要になるのが、前章までにも登場した自治意識という考え方です。
個人の自立を前提とする社会では、「なぜそのルールに従うのか」という理由が重視されます。組織においても、単純に「社長が決めたから守れ」と命令するのではなく、「この組織は何を目的として活動しているのか」「その目的を達成するために、なぜこのルールが必要なのか」をメンバー自身が理解することが重要になります。
だからこそ、社内ルールを作る際には、実際にそのルールを使う従業員との対話が重要になります。
「このルールなら現場でも守れる」
「この表現では解釈が曖昧になる」
「この手順では実際の業務に対応できない」
こうした現場からの意見を取り入れながらルールを修正していく。その過程そのものが、コンプライアンスを組織に根づかせることになります。ルールを押しつけるのではなく、自分たちが納得して守るルールを、自分たちも参加して作るという発想です。
これは単なる「民主的な社内運営」という話ではありません。実務上も重要です。
現場を知らない人が作ったルールは、実際の仕事では使いにくいことがあります。すると、社員はルールを守らなくなります。守れないルールが増えれば、「どうせ会社のルールなんて現実には守れない」という感覚が広がります。
そして、そこからコンプライアンスの形骸化が始まります。
「バリュー・シェアリング」という考え方
ここで重要になるのが、バリュー・シェアリング、つまり価値観の共有です。
会社のコンプライアンスを機能させるには、細かなルールを大量に作るだけでは足りません。
「私たちは何を大切にして仕事をするのか」
「この会社は社会に対して何を提供するのか」
「利益を上げることと、顧客や社会に対する責任をどう両立するのか」
こうした価値観が共有されていなければ、ルールに書かれていない問題が発生したときに判断できません。
実際の仕事では、ルールに完全に書かれている状況だけが発生するわけではありません。むしろ本当に難しいのは、「ルールには書いていないが、これはやってよいのだろうか」という場面です。
そこで必要になるのが、組織として共有された価値観です。
コンプライアンス教育も、「違反すると処罰される」という恐怖を植え付けるだけでは十分ではありません。なぜそのルールが必要なのかを理解し、自分自身で適切な判断ができるようにすることが重要です。
フェアな競争を守ることもコンプライアンスである
コンプライアンスは、ビジネスを邪魔するものだと考えられることがあります。
「法律や規制が多すぎると、新しい事業に挑戦できない」
「リスクを避けようとすると、何もできなくなる」
こうした感覚は理解できます。しかし、コンプライアンスは本来、ビジネスを止めるためのものではありません。
むしろ、公正な競争を成立させ、健全なビジネスを長期的に続けるための基盤です。
たとえば、スポーツ競技で、一部の選手だけがルールを無視して有利になることが許されれば、競技そのものが成立しなくなります。ビジネスも同じです。
談合、カルテル、虚偽表示、不正な取引、競争相手への不当な妨害などが横行すれば、短期的には一部の企業が利益を得ることがあっても、市場そのものの信頼が失われます。
だからこそ、ルールを守りながら競争することには経済的な意味があります。コンプライアンスは競争を抑える仕組みではなく、競争を成立させるための共通基盤でもあるのです。
「結果」だけでコンプライアンスを評価してはいけない
ここには非常に重要なポイントがあります。
どれほど優れたコンプライアンス・プログラムを導入しても、不祥事が100%なくなるわけではありません。
人間が仕事をする以上、ミスは起こります。意図しない事故も起こります。巧妙な不正が仕組みをすり抜けることもあります。
だから、「不祥事が起きた会社=コンプライアンスが失敗した会社」と単純に判断するのは適切ではありません。
むしろ重要なのは、不祥事が起きる可能性を前提として、どのようなプロセスで予防し、発見し、対応し、再発防止につなげたかです。
これは安全管理にもよく似ています。
交通事故を完全にゼロにできないからといって、安全対策が無意味になるわけではありません。事故が起きる可能性を減らし、事故が起きたときの被害を抑え、原因を分析し、次の事故を防ぐ。この一連の活動こそが安全管理です。
コンプライアンスも同じように、結果だけではなくプロセスを見る必要があります。
不祥事が起きたとき、最も危険なのが「証拠隠し」
コンプライアンスの考え方から見て、とりわけ危険なのが、不祥事そのものよりも、それを隠そうとする行動です。
「このまま公表したら会社が大変なことになる」
「今ならまだ隠せる」
「関係する資料を処分してしまおう」
こうした心理が働くことがあります。
しかし、現代の組織では、情報を完全に消すことは非常に困難です。不祥事が起きれば、文書、電子データ、メール、記録、人間の記憶など、さまざまなところに痕跡が残ります。関係者が退職すれば、組織外から事実が明らかになる可能性もあります。
そして、隠蔽しようとすればするほど、問題は「最初の不祥事」から「不祥事+隠蔽」というより深刻な問題に変わります。
アンダーセンの事例は、その典型として取り上げられています。エンロンの不正会計問題に関連して証拠隠滅を図ったことが発覚し、監査法人としての信用を大きく失う結果につながりました。企業を守ろうとして行ったはずの証拠隠しが、結果として企業そのものを守れなくしてしまったのです。
ここには、コンプライアンスの重要な逆説があります。
「会社を守るために隠す」のではなく、「会社を守るために正直に向き合う」ことが必要なのです。
リコールを隠すより、正直に対応するほうが企業を守る
同じことは製品事故にも当てはまります。
製品に問題が見つかったとき、企業にとってリコールは大きな負担です。回収費用もかかりますし、ブランドイメージへの悪影響も心配になります。
そこで「できれば公表したくない」と考えてしまう。
しかし、問題を隠して後から発覚した場合、「製品に問題があった」という事実だけでなく、「企業は問題を知りながら隠していた」という問題まで加わります。
逆に、問題を早期に発見し、原因を調査し、必要な範囲で情報を公開し、製品を回収し、再発防止策を示せば、短期的には大きなコストが発生しても、長期的には「問題に誠実に対応する会社」という信頼につながる可能性があります。
つまり、コンプライアンスは「問題を起こさない技術」だけではありません。
問題が起きたときに、どのように振る舞うかを決める経営思想でもあるのです。
「コンプライアンスだから考えない」は、最悪の誤用
もう一つの危険が、思考停止です。
「コンプライアンスだから、このルールに従ってください」
これだけを繰り返していると、社員は次第に自分で考えなくなります。
「なぜこのルールがあるのか」
「このルールは現在の仕事に本当に合っているのか」
「このケースにも同じルールを適用してよいのか」
こうした問いを持たなくなってしまうのです。
これは一見すると安全そうですが、実は非常に危険です。
なぜなら、現実の仕事にはルールに書かれていない状況が必ず発生するからです。
ルールが想定していなかった事故が起きたとき、「マニュアルに書いてありませんでした」としか言えない組織では、問題に対応できません。
本当に必要なのは、ルールを守る能力と、ルールについて考える能力の両方です。
「悪法だから守らない」も危険
では、逆に「このルールはおかしい」と思ったら無視してよいのでしょうか。
もちろん、そう単純にはいきません。
法律や規則に問題があると思ったとしても、個人や企業が勝手に「これは悪法だから守らなくていい」と判断するのは危険です。
まず法律の趣旨や目的を確認し、専門家と相談し、必要であれば行政との折衝や制度改正への働きかけを行う。そのうえで、現実の業務では現在の法制度を守りながら対応する必要があります。
ここにもコンプライアンスの特徴があります。
「ルールを絶対視する」のでも、「ルールを無視する」のでもなく、ルールの目的を理解したうえで、より合理的な仕組みを追求する。
この姿勢が重要なのです。
「官僚主義」に陥ると、コンプライアンスは組織を弱くする
ルールが増えすぎると、組織は「事なかれ主義」に陥ることがあります。
何か新しいことをしようとすると、
「前例がありません」
「規程に書いてありません」
「問題が起きたら責任を取れません」
「担当部署の判断が必要です」
といった反応ばかりが返ってくる。
こうなると、組織は失敗しにくくなる一方で、挑戦もしなくなります。
しかし、企業にとって「何もしないこと」は必ずしも安全ではありません。
市場環境が変化しているのに何もしない。顧客のニーズが変わっているのに従来の方法を続ける。新しい技術が登場しているのに検討しない。
これもまた、経営上のリスクです。
したがって、コンプライアンスは「何もしないための仕組み」ではありません。
適切なリスクを引き受けながら、よりよい事業活動に挑戦するための基盤でもあります。
コンプライアンスは、むしろ改革を促す力になる
この点は、コンプライアンスを理解するうえで非常に面白いところです。
一見すると、コンプライアンスは保守的な考え方に見えます。
しかし、本当に優れたコンプライアンスは、既存のルールをそのまま守ることだけを求めません。
「このルールは現実に合っているのか」
「この業務にはもっと安全で合理的な方法がないか」
「この古い慣行は誰のために残っているのか」
と問い直します。
その結果、古い業務慣行が廃止されたり、組織構造が改革されたり、新しいビジネスモデルが生まれたりすることがあります。
つまり、コンプライアンスには**「守る」という側面と「変える」という側面**があります。
既存のルールを守るだけではなく、社会や技術の変化に合わせて、より適切なルールや業務方法へと改善していく。その意味で、コンプライアンスは企業改革の一つの入口にもなります。
経営者と会社は同じではない
第6章では、経営者の公私混同についても重要な問題として扱われています。
特に問題になるのは、経営者が「会社は自分のものだ」と考えてしまうことです。
もちろん、創業者が強いリーダーシップを発揮すること自体が問題なのではありません。
問題は、会社という組織を自分自身と完全に同一視し、会社の資産、権限、情報、従業員などを、個人の意思で自由に扱えるものだと考えてしまうことです。
株式会社は、経営者個人の所有物ではありません。株主、従業員、顧客、取引先、社会など、多くのステークホルダーとの関係の上に成立しています。
そのため、経営者自身にもチェックが必要です。
「トップだから正しい」
「社長が決めたから従う」
という組織では、トップが間違えたときに誰も止められません。
だからこそ、内部監査、取締役会、内部通報、権限分掌などの仕組みが意味を持ちます。コンプライアンスは、従業員を監視する仕組みであると同時に、経営者自身の権力を適切にコントロールする仕組みでもあるのです。
「日本的な和」とコンプライアンスは対立するのか
コンプライアンスについて、日本的な組織文化との関係で考えると興味深い問題が出てきます。
「ルールを厳しくすると、人間関係が冷たくなるのではないか」
「内部通報が増えれば、社員同士が疑い合うのではないか」
「以前のような和気あいあいとした職場が失われるのではないか」
こうした懸念があります。
しかし、ここでいう「和」を、単純に「仲良くすること」と考えてはいけません。
本当に強いチームとは、互いに何も言わない組織ではありません。
間違いを指摘できる。
危険を知らせることができる。
上司にも意見を言える。
困っている同僚を助けられる。
そして、問題があれば一緒に改善できる。
このような関係のほうが、むしろ健全なチームワークです。
コンプライアンスが目指しているのも、単純な「監視」ではなく、役割分担と相互チェックによって組織全体を強くすることです。したがって、コンプライアンスとチームワークは本来、対立するものではありません。
内部通報は「仲間を裏切ること」なのか
内部通報制度に対しては、「社員同士を監視させる制度ではないか」という反発が生じることがあります。
しかし、これも見方を変える必要があります。
たとえば、職場で重大なハラスメントや安全上の問題が発生しているのに、誰も口にできないとします。
その状態は「和」が保たれているのでしょうか。
むしろ、問題を知っているのに言えない状態です。
そして、その問題が重大事故に発展すれば、被害を受けるのは当事者だけではありません。従業員、顧客、会社、さらには社会全体に影響が及びます。
内部通報制度は、そのような問題を早期に発見するための安全弁として機能します。
「問題を知らせた人を裏切り者とする文化」から、「問題を知らせてくれた人によって組織が救われたと考える文化」へ。
ここにコンプライアンスの大きな転換があります。
「マニュアルがあるから大丈夫」という考え方
さらに注意しなければならないのが、マニュアルへの過信です。
マニュアルは重要です。しかし、マニュアルだけでは組織を守れません。
なぜなら、現実にはマニュアルに書かれていないことが起きるからです。
たとえば介護施設なら、
「転倒した場合にはこの手順」
「急変時にはこの連絡先」
「服薬ミスがあった場合にはこの報告書」
というマニュアルを作ることはできます。
しかし、利用者の状態がいつも同じとは限りません。複数の問題が同時に発生することもあります。夜勤帯で人員が少ないこともあります。家族への説明が必要になることもあります。
そこで必要なのが、マニュアルを理解したうえで状況を判断する能力です。
したがって、コンプライアンスにおいて重要なのは、
マニュアルを守れる人間を作ることではなく、マニュアルの目的を理解し、状況に応じて適切に判断できる人間を育てること
だと考えることができます。
ルールが守れないなら、ルールそのものを見直す
ここにはもう一つ重要な問題があります。
会社が「ルールを守れ」と言っているのに、現場ではどうしても守れない。
このとき、「社員がだらしない」と考えるだけでは問題は解決しません。
もしかすると、そもそもルールが現実に合っていないのかもしれません。
実際には不要な書類を作らせている。
現場では到底実行できない手順を要求している。
似たような規程が何重にも存在している。
誰も意味を理解していないルールが何年も残っている。
このような状態になると、ルールそのものへの信頼が失われます。
だからこそ、コンプライアンスでは**「守れないルールを作らない」ことも重要**です。
必要なのはルールの量ではなく、ルールと現実との整合性です。現実と建前のギャップが大きくなれば、社員は次第に「どうせ建前だから」と考えるようになり、コンプライアンス全体が形骸化します。
「態勢」と「体制」は違う
この問題を非常にうまく表現する言葉として、**「コンプライアンス体制」ではなく「コンプライアンス態勢」**という考え方があります。
「体制」と聞くと、組織図、担当部署、規程、委員会、マニュアルなど、目に見える仕組みを想像します。
一方、「態勢」は、そこに働く人々の姿勢や意識、組織文化、日常の行動まで含めた状態を指します。
つまり、
「コンプライアンス部門があります」
「担当役員を置きました」
「規程を作りました」
というだけでは十分ではありません。
社員が実際にルールを理解しているか。
問題が起きたときに報告できるか。
上司が問題を隠そうとしていないか。
現場の声が経営層に届くか。
ルールそのものが現実に合っているか。
こうした部分まで含めて、初めて本当の意味でのコンプライアンス態勢になります。
認証を取得しただけでは終わらない
ISO、ISMS、プライバシーマーク、HACCPなど、企業の管理水準を第三者が評価するさまざまな認証制度があります。
こうした認証は、一定の水準を客観的に確認するという意味で重要です。
しかし、認証を取得した瞬間にコンプライアンスが完成するわけではありません。
むしろ問題は、その後です。
認証を取るためには一生懸命に仕組みを整えたのに、取得後は現場で守られていない。
監査の日だけ書類を整える。
掲示物だけ立派になっている。
こうなれば、認証は単なる飾りになってしまいます。
重要なのは、認証によって得た水準を日常業務の中で維持し、さらに改善していくことです。
これはコンプライアンス全般に共通する原則です。
「仕組みを作ること」と「仕組みが機能していること」は別の問題なのです。
大和銀行事件が示した「自己責任」の重さ
「どこまでコンプライアンスをやればよいのか」という問題を考えるうえで象徴的なのが、大和銀行の株主代表訴訟です。
ニューヨーク支店の行員による巨額の不正取引が発覚した事件で、銀行側は一定の検査を行っていました。しかし、その検査は、行員が提出した記録をチェックする方法に依存していました。
もし記録そのものを改ざんされれば、その方法では不正を発見できません。
そこで、実際の証券の存在を確認するなど、より実質的なチェック方法が考えられたにもかかわらず、それを十分に行っていなかったことが問題とされました。裁判では、取締役のリスク管理体制の構築・監督について重い責任が認められました。
この事例から学べるのは、「監督官庁から問題を指摘されなかったから大丈夫」という考え方では不十分だということです。
最終的に自社を管理する責任は、自社自身にある。
これが自己責任という考え方です。
行政による検査は重要ですが、それによって企業自身の管理責任がなくなるわけではありません。
「知らなかった」では済まされない時代
現代の企業経営では、経営者が「自分は知らなかった」と言うだけでは済まされない場面が増えています。
企業が巨大化し、情報が複雑になればなるほど、トップがすべてを直接把握することは不可能です。
だからこそ、内部統制システムが必要になります。
問題は、トップがすべてを知っていることではありません。
知らなくても問題を発見できる仕組みを作っておくことです。
現場から情報が上がってくる。
内部監査がチェックする。
異なる部署が相互に確認する。
取締役会が経営を監督する。
内部通報によって通常の報告ラインから情報が上がる。
こうした仕組みがあれば、経営者がすべての現場を直接監視しなくても、組織の異常を発見しやすくなります。
逆に、情報が上に届かない会社では、トップがどれほど「コンプライアンスを重視する」と宣言しても、実際には機能しません。
グループ企業では「自社だけ守ればいい」では足りない
現代企業では、一社だけで事業を完結するケースは少なくなっています。
親会社、子会社、関連会社、取引先、委託先など、多くの企業がネットワークを形成しています。
そのため、企業ブランドを共有している場合には、グループ全体でコンプライアンスに取り組む必要があります。
雪印事件は、そのことを考える象徴的な事例として取り上げられています。
法律上は親会社と子会社は別法人です。しかし消費者から見れば、「雪印」というブランドは一つです。
そのため、子会社で発生した不祥事であっても、グループ全体のブランドに対する信頼が傷つくことがあります。企業ブランドは大きな資産ですが、それだけに一つの不祥事がグループ全体へ波及する可能性があります。
このことから、グループとして基本的なコンプライアンス基準を共有しながら、それぞれの会社が主体的に取り組むという二重の構造が必要になります。
業界全体で取り組むこともある
さらに視野を広げると、コンプライアンスは一企業だけの問題ではなく、業界全体の問題になることもあります。
ある業界で不祥事が繰り返されれば、「その企業が悪かった」で終わらず、「業界そのものの体質に問題があるのではないか」と社会から見られるようになります。
そこで業界団体がガイドラインを作ったり、研修を行ったり、企業の取り組みを支援したりすることがあります。
ただし、ここでも注意が必要です。
「業界ぐるみ」の取り組みが、競争を制限する談合などにつながってはいけません。
目的は競争をなくすことではなく、公正な競争を成立させるために、業界全体の健全性を高めることです。
不祥事は「個人の問題」に見えても、組織を調べる
企業不祥事が起きると、「悪い社員がいたからだ」と考えたくなります。
もちろん、個人の故意による不正もあります。
しかし、そこで調査を終えてはいけません。
「なぜ、その人がその行動を取ることができたのか」
「なぜ、誰も早期に発見できなかったのか」
「なぜ、周囲は問題を指摘できなかったのか」
「なぜ、上司は異常に気づかなかったのか」
「その行動を誘発する評価制度や業績目標はなかったか」
こうした問いを掘り下げる必要があります。
個人の問題の背後に組織的な原因が潜んでいることがあるからです。
これは現代の安全管理やリスクマネジメントにも通じる考え方です。
事故や不祥事を「悪い人を一人処分して終わり」にしてしまえば、同じ問題が別の人によって繰り返される可能性があります。
だからこそ、個人責任と組織責任を切り分けながら、組織として原因を分析することが重要になります。
「過失」を放置すると、やがて「故意」に近づいていく
ここには非常に興味深い指摘があります。
最初は単純なミスだったとしても、それが繰り返されると、組織の倫理感覚が鈍っていくことがあります。
「このくらいなら大丈夫」
「前からこうやっている」
「誰にも迷惑をかけていない」
「今回だけならいいだろう」
こうした小さな妥協が積み重なると、やがて不正そのものに慣れてしまう。
つまり、重大な不祥事は突然空から降ってくるとは限りません。
小さなルール違反や、見過ごされたミスが積み重なって、大きな不正へと発展することがあります。
雪印乳業の食中毒事件も、ずさんな製造管理という問題から、さらに深刻な問題へと発展した事例として扱われています。山一證券についても、長期間にわたるルール違反の積み重ねが企業の深刻な問題につながった例として位置づけられています。
だから、コンプライアンスは「重大犯罪を防ぐためだけのもの」ではありません。
日常の小さな異常を見つけ、早い段階で修正するための仕組みでもあるのです。
「企業の価値」は利益だけでは決まらない
企業の価値というと、売上高や利益、株価などを思い浮かべます。
しかし、長期的に見れば、それだけではありません。
「この会社は約束を守る」
「この会社の商品は安心できる」
「この会社と取引しても大丈夫だ」
「この会社の社員は誠実に仕事をする」
こうした信用も企業価値の一部です。
だからこそ、内部統制や企業文化も企業価値を支える資産になります。
どれほど利益を上げていても、組織内部に問題が蓄積していれば、何かをきっかけに一気に企業価値が失われることがあります。
反対に、短期的にはコストがかかっても、健全な企業文化や内部統制を構築しておけば、長期的な企業活動の基盤になります。
コンプライアンスは、この「見えにくい企業価値」を守る活動でもあるのです。
コンプライアンスは「何もしないこと」ではない
ここまで考えると、コンプライアンスとチャレンジ精神は対立しないことが分かります。
コンプライアンスを「リスクを避けること」とだけ考えれば、何も挑戦しないことが最も安全に見えます。
しかし、企業は変化しなければ生き残れません。
新しい技術を導入する。
新しい市場へ進出する。
既存のサービスを改革する。
古い慣行を廃止する。
新しい顧客層を開拓する。
これらには必ずリスクがあります。
だから必要なのは、リスクをゼロにすることではありません。
リスクを認識し、適切にコントロールしながら、必要な挑戦を行うことです。
コンプライアンスとは、企業を「何もしない組織」にする思想ではありません。むしろ、安心して挑戦するための土台を整える考え方なのです。
介護・医療の現場に置き換えると、さらに分かりやすい
この考え方は介護や医療にもそのまま応用できます。
たとえば、介護施設で転倒事故が起きたとします。
「職員が見守りを怠った」
「この職員の注意不足だった」
と処理してしまえば簡単です。
しかし、それだけでは十分ではありません。
勤務体制に無理はなかったか。
利用者の状態変化は共有されていたか。
申し送りは機能していたか。
危険箇所は把握されていたか。
職員が「危ない」と言える雰囲気があったか。
過去のヒヤリハットは活用されていたか。
マニュアルは現場で実際に使えるものだったか。
管理者は現場のリスクを把握していたか。
こうした問題まで調べることで、事故を「個人のミス」から「組織として改善すべき問題」へと捉え直すことができます。
そして、これはまさにコンプライアンスの考え方です。
コンプライアンスとは、単に「事故を起こすな」と命令することではありません。
事故や不正が起こりにくく、問題が起きても早期に発見でき、発生した問題から組織が学習できる環境をつくることなのです。
コンプライアンスの本当の敵は「ルール違反」だけではない
第6章全体を通して浮かび上がってくるのは、コンプライアンスの敵は単純な「ルール違反」だけではないということです。
むしろ危険なのは、
「ルールさえ守ればいい」
「自分は言われたことをやっただけ」
「担当外だから知らない」
「上司が決めたことだから従った」
「問題が起きても会社のために隠す」
「マニュアルに書いてないから判断しない」
「認証を取ったから大丈夫」
「行政から指摘されなかったから問題ない」
といった思考です。
これらには共通点があります。
それは、自分で考えることを放棄していることです。
コンプライアンスは、本来これとは正反対の方向を目指します。
コンプライアンスとは「自分たちで自分たちを律する力」である
コンプライアンスを一言で表現するなら、単なる「法令遵守」よりも、**「組織が自らを律し、健全な方向へ継続的に改善していく力」**と考えるほうが、第6章の内容をよく表しています。
そのためには、法律を守るだけでなく、ルールの意味を理解する必要があります。
ルールが現実に合わなければ改める必要があります。
現場の意見を聞く必要があります。
経営者自身もチェックを受ける必要があります。
不祥事が起きたら隠すのではなく、原因を調べて改善する必要があります。
グループ企業なら、共通する価値観と基準を共有する必要があります。
認証を取ったら終わりではなく、それを日常業務として維持する必要があります。
そして何よりも、社員一人ひとりが「会社に言われたから守る」のではなく、「この仕事を社会に対して誠実に行うために守る」という意識を持つことが重要です。
そう考えると、コンプライアンスは企業を窮屈にするためのものではありません。
むしろ、企業が長く生き残り、社会から信頼され、新しいことにも挑戦できる組織になるための基盤です。
ルールを増やすことがコンプライアンスなのではない。
ルールに従うだけで思考を止めることがコンプライアンスなのでもない。
自分たちの仕事をより健全なものにするために、考え、対話し、仕組みをつくり、問題があれば改める。その継続的な営みこそが、コンプライアンスの実質なのです。
